信貴山(しぎさん)聖徳太子が毘沙門天を降臨させた霊山

Sponsored Link

今から1400余年前のおはなし。

信貴山(しぎさん)につたわる聖徳太子の伝説です。

 

長いこといがみ合っていた、
仏教推しの聖徳太子+蘇我軍と、神道(しんとう)推しの物部軍
とうとう戦をはじめました。

 

そのときに起こった、なんとも不思議なおはなし。

 

蘇我vs物部、仏教と神道のたたかい

【序章】信貴山へいたるまで

聖徳太子+蘇我軍の本拠地は大和国(やまとのくに)、飛鳥(あすか:現在の奈良県、明日香村

物部(もののべ)軍の本拠地は河内国(かわちのくに)、稲村(現在の大阪府、八尾市

山脈をはさんで東が聖徳太子側、西が物部氏側となります。

 

先に兵を集めていたのは物部氏。蘇我氏の軍備が整うまえに闇討ちしようと、闇にまぎれて飛鳥に進撃してきました。

やばい!このままだと即行負ける!ということで、聖徳太子が蘇我軍に指示をだします。

 

「松明(たいまつ)をあるだけ燃やしなさい。もちきれないぶんは地面につきたててでも燃やしなさい。そして声のかぎり全員で一晩中さけぶのです。」

 

暗闇を利用して、あたかもこちらの兵が二倍も三倍もいるように見せかけようという寸法です。このときの聖徳太子はまだ12歳。やりおる…。

この聖徳太子の妙案で物部氏は怖気づき、夜襲をかけてこなかったということです。
そしてこの間に蘇我氏は、ほかの豪族たちを説得し味方につけ、翌朝には物部と同等以上の兵力をあつめることができたのだとか。

※ちなみに豪族というのは簡単にいうとエラい身分の家系です。蘇我氏、物部氏も豪族。この二家の他にも平群氏、春日氏、秦氏などたくさんいます。豪族は家ごとに朝廷から役割をきめられており、蘇我氏はおもに政(まつりごと:政治的なこと)、物部氏はおもに軍事を担当していました。そのため、戦にかんしては物部氏の方が長けており、はじめから軍備もそろっていたであろうことは容易に想像できますね。

 

そんなこんなで序盤は聖徳太子勢が優勢。

あれよあれよという間に、物部氏の本拠地の手前、ちょうど現在の大阪府柏原市あたりまで物部軍をおいこみました。

しかしこのままやられる物部氏ではありません。

 

土壇場で息をふきかえした物部氏。今度は聖徳太子勢がどんどんせめられ、ついに大和(奈良県)側まで後退させられます。

そこにあるのが、今回の舞台、信貴山です。

shigisan-kouyou

 

寅、寅、寅×信貴山=毘沙門天

必死の攻防をくり広げるなか、聖徳太子は当時なもなき山だった信貴山を目にします。

そして太子はピンときました。

 

『この山、すごい霊山やんか。がんばって祈ればこの窮地を脱せるかもしれん。』

 

そこですぐに聖徳太子はこの山にむかって祈願しました。どうかこの戦の必勝法を授けてほしいと。

たまたまなのか、太子の計算なのか、今となってはわかりませんが、ちょうど太子が祈願したのは寅年、寅の日、寅の刻

寅が三つかさなったときでした。

 

すると、太子の祈りを聞きとどけたかのように毘沙門天(びしゃもんてん)が大陸から空を飛んで、その山の上に降臨されました。そして太子に必勝法を授けたのです。

※信貴山のふもと、奈良盆地すべての川の水があつまる竜田川(現在の大和川)は当時からあばれ川でした。(なんと今でも護岸工事がすすめられています)そのため、近隣は沼地や足場のわるいところがおおかったと思われます。聖徳太子勢はきっと、その地形を利用して物部氏を攻めたのでしょう。

 

結果、聖徳太子勢はいきおいを取りもどし、ふたたび物部勢を河内までおいつめ、総大将、物部守屋の首をとったのでした。

この戦の勝利があったからこそ、のちに日本に仏教が広くひろまることとなるわけですね。毘沙門天ありがとう!

 

そしてこの伝説から、寅は毘沙門天の神使(しんし:神の使い)といわれるようになりました。

信貴山に行くと、奉納されたたくさんの寅の石像や置物があります。他では見ない不思議な光景です。

shigisan-tora

ちなみにその虎の石像の中には夜中になると動き出すものがいるそうです。さすがに虎は危ないので、今でも檻の中に入れられています。(上の写真がその石像のうちの一つ。)なんか付喪神っぽいですよね。神仏習合の地だなぁ。

 

 

勝利の寺、信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)

毘沙門天はもともと中国の神であり、この戦があるまで日本に降臨されたことはありませんでした。

そこを聖徳太子が神通力(じんつうりき:すごいちから)と山の霊力をつかって、はじめて日本にお呼びしたわけです。※○○天、と名の付く仏さまは、もともと仏教以外の神であった方々です。大黒天、弁財天、吉祥天など大勢いらっしゃいます。

 

この伝説から、毘沙門天は勝利の仏として人々からあつい信仰をあつめることになります。

信貴山には朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)という立派なお寺がありますが、交通アクセスの決してよくはない山の上のお寺であるにもかかわらず、多くのアスリートが必勝祈願にやってきます。

ちなみに寅にまつわるお寺(しかも大阪に近い)ということで、阪神タイガースは毎年かかさず参拝されているそうですよ。

shigisan-hondou

 

 

聖徳太子が名付けた信貴山

戦のあと、聖徳太子はこの山を「信ずべき、貴ぶべき山である。」として『信貴山』と名付けました。

先にも書きましたが、このとき聖徳太子、12歳。ネーミングセンスがものすごく渋い。

 

信貴山朝護孫子寺は紅葉が美しいことでも有名なお寺。

なかでも、境内にとても大きな銀杏の木があるのですが、枝が普通のイチョウの木よりも枝が多くはえる大変珍しい種らしく、日本には九州に一本とここ信貴山に一本あるだけなんだそうですよ。(!)

そろそろ火渡り修行(護摩炊き後の熱く燃える灰の上を歩く修行)もありますし、紅葉狩りがてら参拝にいかれてみてはどうでしょうか。

 

 

信貴山朝護孫子寺、拝観情報

奈良県生駒郡平群町信貴山

拝観時間

終日拝観可能

ただし本堂にてご祈祷希望の場合は9:00~16:00のうちに。※オススメ!真言密教を感じられるご祈祷です

 

アクセス

電車:JR王寺駅(北口バスターミナル)より信貴山門行きバス「信貴大橋」下車、徒歩5分

JR王寺駅よりタクシー約13分(約4km)

近鉄信貴山下駅よりタクシー約10分(約3km)

 

車:駐車場あり(大体500円)

 

宿泊

宿坊が三つあります。(千手院、成福院、玉蔵院)すばらしい説法がきける上に信貴山からの美しい夜景もみえ、朝のお勤めもすばらしく、ごはんもおいしいです。オススメ!

Sponsored Link

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

Fumie Katayama

奈良の戦える女将。 母の影響で幼い頃から民俗学が好きだったものの、マッドサイエンティストに憧れて学生時代はバリバリの理系。[東京農工大学 工学部 有機材料化学科卒][同大学 技術経営研究科 技術リスクマネジメント専攻卒(研究分野:光学ポリマーアロイの複屈折制御)]武道も好きで、テコンドー(ITF)をしていたことも。[学生テコンドー全国選手権大会 トゥルの部二連覇(2008)(2009)、スペシャルテクニックの部優勝(2009)]就職を利用して一度住んでみたかった奈良県へ移住。古都奈良で1400年間言い伝えられてきた伝説、伝承、信仰、民俗芸能など生きた文化を目の当たりにし、眠っていた民俗学好き魂が再燃。『こんなにあやしくておもしろくてディープな奈良をもっと知ってほしい』という想いから、現在は"奈良のあやしくてかわいい宿"を開業するべく準備中。