【中将姫伝説】29歳で生きながら仏になった姫:後編【當麻寺】

Sponsored Link

前編の続きです。

中将姫暗殺計画2:甘酒で毒殺

中将姫10歳、豊寿丸(とよじゅまる)3歳になりました。

継母とはちがい、生まれついて優しい性格の豊寿丸を姫はたいそうかわいがり、
二人はとても仲のよい姉弟でした。

 

あいかわらず中将姫を忌み嫌い、いやがらせを続けていた継母は、今度はこれを利用して
中将姫を毒殺しようと画策します。

相当な嫉妬深さですね…。

 

継母はとある老女から毒の作り方をきき、その毒を甘酒の瓶に混ぜました。

そしてもう一本毒の入っていない甘酒の瓶も準備し、中将姫を待ちました。

 

いつものように姫が豊寿丸のところに遊びにきたとき、継母は二人に甘酒をすすめました。

豊寿丸と中将姫、それぞれに別々の瓶の甘酒を

 

しかしなんと、うっかり毒の入った甘酒を息子の豊寿丸にわたしてしまいます。

凡ミスすぎる…!

 

そして豊寿丸は毒入りの甘酒をおいしそうに一気に飲み干してしまいました。

見る見るうちに豊寿丸の顔から血の気が失せ、口から大量の血があふれ出しました。

 

自らのまちがいに気づいた継母は、気も狂わんばかりに豊寿丸を抱きかかえましたが、
小さな豊寿丸はあっという間に息絶えてしまいました…。

そしてこのことからますます中将姫を逆恨みするようになります。

 

則重言ったれ。

「因果応報や!」

 

中将姫暗殺計画3:雲雀山(ひばりやま)

中将姫14歳のころ、継母にとって久しぶりの暗殺チャンスがおとずれます。

父、藤原豊成が遠く筑紫へ出かけることになったのです。

 

継母は、中将姫の幼いころから付き人をしていた男に、山奥で中将姫を殺してこいと命令しました。

逆らえない付き人は、
中将姫をだまして雲雀山(ひばりやま:現在の宇陀市あたりにある山)につれていきました。

そして山の奥深くまで来たとき、懐から刀を取り出し、中将姫にむかって振り上げました。

 

それを見ても中将姫は動じず、

「私が死なねば、今度はあなたがひどい目にあうのでしょう。どうぞ、一思いに殺してください。

と西方へ向かって手を合わせ、目を閉じました。

 

我が子のように幼いころから成長を見守ってきた、美しい姫の姿を前にして、

付き人はどうしてもその刀を振り下ろすことができず、その場に崩れ落ちて打ち明けました。

「姫…申し訳ありません。やはりわたしには、どうしてもできません…!」

 

そうして付き人は一人屋敷へ戻り、自らの血で小袖を染めました。

それを中将姫を殺した証拠にしようと考えたのです。

 

そのときちょうど、付き人と旧知の仲の家老が彼を見かけ、どうしたのかと尋ねてきました。

付き人が事のてんまつを話したところ、家老は

「あの方がそんなことで納得するわけがない。ちょうど私の娘が中将姫と歳も同じ14歳。

 私の娘の首をかわりに差し出しましょう。

と、実際にわが娘を殺してその首を付き人に持たせました。

な、なんということを…。

 

付き人のもってきた首を見て継母はすっかり満足しました。

後日もどった夫には「姫はふしだらな男と出ていった。」とでまかせを伝えました。

うぅ、いろいろと後味悪すぎる…。

 

中将姫、父と奇跡の再開

その後、中将姫は乳母とともに雲雀山にかくれ住んでいました。

衣服はぼろぼろになり、身体はやせ細り、
以前のきらきらしい姿は見る影もなくなりつつありました。

 

雲雀山にきた翌年の5月5日。

宮廷行事の薬狩(くすりがり)に出るために父、藤原豊成は
菟田野(うたの:現在の宇陀市)の山へ天皇のお付きで来ていました。

 

※『薬狩』とは毎年5月5日に行われていた、山へ生薬をとりに行く行事。男性はシカを(角を薬にする)、女性は薬草などを採りに、宇陀の山へ男女連れ立っていったと伝わっています。(ちなみにこの行事がのちに子どもの日になったとか。男女一緒に行う行事なんて当時これくらいしかなかったはずなので、恋のチャンスでもあったのでしょうね。おもしろいなぁ。)

 

雲雀山のある場所も、菟田野の山中。

鹿を追って山中に分け入った豊成は一人の老女を見かけます。

「どうしてこんなところにいるのだ。ここは宮廷の狩場であるぞ。」

と声をかけたのですが、よくよくみると中将姫の乳母ではありませんか。

風のうわさで『中将姫が宇陀の山中で生きているらしい』ときいていた豊成。

中将姫の行方を乳母にたずねてみると、
なんと「この山で暮らしていらっしゃいます」と!

 

そうして奇跡的に中将姫と父は感動の再会をはたします。

父は涙を流して喜び、中将姫を屋敷へ連れて帰りました。

 

一方の継母は、気まずいのか何なのか、いっさい表へは出てくることはなくなったということです。

 

千巻写経

屋敷へもどった中将姫は、自分のかわりに命を落としたたくさんの人をおもい、
千巻写経(写経を千回すること)をはじめました。

 

くる日もくる日も、朝から晩まで、寝る間も食事の時間も惜しんで書きつづけました。

そうしているうちにどんどんとやせ細り、言葉少なになってゆく中将姫をみな心配しましたが、
なんびとにも中将姫を止めることはできませんでした。

 

16歳になった年、中将姫はとうとう最後の一巻を書き終えました。

 

精も根も尽き果てた中将姫。眼を上げると、西の空に燃えるような夕焼けが広がっておりました。

そしてはるかかなた、二上山へ沈みゆく太陽がありました。

 

その太陽の沈む間際、

なんと光の中に西方浄土(極楽浄土と同義)と仏さまのお姿が見えたのです。

それはそれは美しく、荘厳なお姿でした…。

 

しかしそれも一瞬のできごと。

すぐに日は沈み、そのお姿も消えてしまいました。

 

不思議な仏さまの余韻に浸りながら、中将姫は
どうしてももう一度あの美しいお姿を見たい、そしてあの仏さまにお仕えしたい
と願いました。

そして導かれるように、日の沈んだ奈良盆地を、
仏さまの現れたところにあった山、二上山を目指して歩いていきました。

 

そして驚くべきことに、一晩のうちに二上山のふもと、當麻寺までたどり着いてしまいます。

※現在の奈良市三条あたりから葛城市当麻までですので、約25km。すごい根性。

 

中将姫、尼僧になる

当時の當麻寺は女人禁制(にょにんきんせい:女性は入れない)。

當麻寺の僧侶たちは、朝外に出てみたら寺の前に美しいお姫さまがいたものですから、大変驚いたとか。

 

中将姫は、二上山に一番近いこのお寺で修行がしたいと頼みますが、女人禁制ですから当然断られます。

しかし中将姫はあきらめず、門前の石の上で一心に読経を行いました。

 

読経をつづけて数日たったころ、不思議なことに中将姫の足が石にしずみ、足跡がきざまれました。

※當麻寺中之坊に今もあります。とっても小さくてかわいい足跡です。

 

それを見た當麻寺の僧侶たちはその功徳(くどく)と奇跡に心を打たれ、
女人禁制をといて中将姫を迎え入れたということです。

そして中将姫は髪を剃り、法如(ほうにょ)という名を授かり尼僧となりました。

 

このときに剃った髪で、中将姫は

  • 阿弥陀如来(あみだにょらい)
  • 観音菩薩(かんのんぼさつ)
  • 勢至菩薩(せいしぼさつ)

の梵字(ぼんじ)を刺繍し、
夕日の中に見たあの浄土の姿を今一度拝ませてほしいと一心に祈ったのだとか。

※この梵字の刺繍も、今でも當麻寺中之坊に大切に保存されています。

 

その後も毎日『再び浄土を拝みたい』と、終日夜通し読経をつづけた中将姫。

祈りつづけて十七日目。

中将姫の前にどこからともなく老尼(ろうに:年老いた尼僧)が現れ、

「百駄の蓮の茎を集めなさい」と言います。

『これは何かのお告げに違いない』と悟った中将姫は、父の協力も得て、
大和(奈良)、河内(大阪)、近江(滋賀)などからたくさんの蓮の茎を数日で集めました。

 

するとまた老尼があらわれ、

「その蓮で糸をつむぎ、寺の北東にある井戸でその糸を洗いなさい」と言います。

老尼の言うとおり蓮の茎を折って糸をつむぎ、寺の北東の井戸でその糸を洗ったところ、
みるみるうちに五色に染め上がったのだそうです。

※この井戸は當麻寺の近くにある石光寺に今でもあり、染井と呼ばれています。

 

その日の黄昏時、こんどは若い女性が現れて、中将姫の手をとってお堂へ入っていきました。

 

お堂の中、中将姫は夢うつつで観音さまと極楽浄土を見ていたような気がしました。

はっと我に返った翌朝、中将姫の目の前には
蓮の糸でみごとに織られた大きな曼荼羅(まんだら)がありました。

そしてそれは、中将姫が拝みたいと祈り続けた浄土と仏さまのすがただったのです。

※これが今の當麻寺のご本尊、『蓮糸曼荼羅(はすいとまんだら)』です。4m四方もあるとても大きく美しい曼荼羅です。

 

それからというもの、中将姫はこの曼荼羅の教えを人々に説き続けます。

当時の民衆は読み書きのできない人がほとんどでしたので、
目の前に広がる曼荼羅世界を実際にみることで、多くの人が心を打たれたといいます。

 

それから時は経ち、中将姫29歳。

西方浄土から二十五菩薩が来迎(らいごう:迎えにくること)し、
中将姫は現身往生(げんしんおうじょう:生きながら仏になること)を遂げられたということです。

 

以上、當麻寺につたわる、中将姫の不思議な伝説でした。

 

中将姫伝説の伝わる當麻寺(たいまでら)

この伝説のつたわるお寺、當麻寺(たいまでら)は、
田舎にあるせいかいつ行ってもあんまり人がいないのですが、
わたしの好きな奈良の寺ランキングベスト5に余裕ではいる大好きなお寺です。

當麻寺の歴史は古く、日本で仏教の宗派ができる前からあるお寺です。
(かの有名な弘法大師や法然上人もここで修行した時期があったんですよ)
この當麻寺の境内の中に、當麻寺中之坊(たいまでらなかのぼう)というお堂があるのですが、
そこに伝わる伝説が、今回お話しした中将姫伝説です。

 

中将姫の足跡がついた石や、中将姫が出家したときに剃った髪の毛で刺繍した梵字など、
中将姫に関するものがたくさんあります。

ここで写経や写仏をしていると、
はるかむかしここで修行した中将姫がそばにいて下さっているような安らかな気持ちになります。

あぁ、写仏したい…。

 

中将姫の現身往生を再現した練供養会式(ねりくようえしき)

中将姫が生きながら仏となり、西方浄土へ迎えられた姿を再現したおまつりが、
當麻寺で毎年5月14日にあります。

練供養会式(ねりくようえしき)といいます。(5月14日は中将姫が現身往生した日。)

 

當麻寺の東の端にある娑婆堂(しゃばどう:俗世をあらわしている)から
西の本堂(西方浄土をあらわしている)まで橋がかけられ、
そのうえを二十五菩薩が練り歩くおまつりです。

 

むかしは文字が読めない人が多かったので、極楽往生とはどういうものかを教えるため、
また中将姫の伝説を伝えるために行われはじめたのだとか。

 

各地に練供養を行うお寺はありますが、そのはじまりはここ、當麻寺なのです。

ぜひ中将姫に想いを馳せながら、はじまりの地を訪れてください。

 

當麻寺中之坊拝観情報

奈良県葛城市當麻1263

拝観時間

9:00~17:00

拝観料

大人500円、小学生300円

※心静かに集中できる写仏体験がオススメ!1500円(筆持参の場合は1200円)

アクセス

電車:近鉄南大阪線「当麻寺駅」から徒歩約15分

車:駐車場あり(20台くらい)

  • 牡丹の時期(4/15~5/15)は参道が自動車乗り入れ禁止となるので使えません!

 

 

當麻寺拝観情報

拝観時間

9:00~17:00

拝観料

大人500円、小学生250円

アクセス

同上

Sponsored Link

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

Fumie Katayama

奈良の戦える女将。 母の影響で幼い頃から民俗学が好きだったものの、マッドサイエンティストに憧れて学生時代はバリバリの理系。[東京農工大学 工学部 有機材料化学科卒][同大学 技術経営研究科 技術リスクマネジメント専攻卒(研究分野:光学ポリマーアロイの複屈折制御)]武道も好きで、テコンドー(ITF)をしていたことも。[学生テコンドー全国選手権大会 トゥルの部二連覇(2008)(2009)、スペシャルテクニックの部優勝(2009)]就職を利用して一度住んでみたかった奈良県へ移住。古都奈良で1400年間言い伝えられてきた伝説、伝承、信仰、民俗芸能など生きた文化を目の当たりにし、眠っていた民俗学好き魂が再燃。『こんなにあやしくておもしろくてディープな奈良をもっと知ってほしい』という想いから、現在は"奈良のあやしくてかわいい宿"を開業するべく準備中。