【中将姫伝説】29歳で生きながら仏になった姫:前編【當麻寺】

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中将姫、というお姫さまをご存知でしょうか?

『ツムラの中将湯』の中将姫、ときいてピンとくる方もいらっしゃるかしら。

 

この伝説は、氏族の姫という身に生まれながらも波乱にみちた人生をおくり、
さいごは29歳という若さで生きながらにして仏さまになったという、
大変徳の高いお姫さまのおはなしです。

 

前置きが長くなるのもなんですし、はじめましょうか。
當麻寺中之坊につたわる、中将姫伝説。

長谷観音のお告げから生まれた中将姫

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中将姫の両親は、右大臣藤原豊成(とよなり)と紫の前

大変仲むつまじい夫婦だったのですが、なかなか子宝に恵まれず、
霊験あらたかな木元明神(このもとみょうじん)を熱心に参詣しておりました。

 

するとある満願の夜、『初瀬の寺(現在の長谷寺)の観音に頼め』というお告げがありました。

それからというもの、夫婦はまいにち熱心に初瀬のお寺(現在の長谷寺)で祈願していましたら、
51日目の夜明けごろ、夢枕に長谷観音が現れ、言いました。

 

「この白い蓮の花を一茎、おまえたちに授けよう。そしてこれを我が子と思い育てなさい。ただし、この子が3歳の時、おまえたちのうち一人は必ず命が尽きてしまう。それでもよければ受け取りなさい。」

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それでも良いと、よろこんで蓮の花を受け取った夫婦は目を覚まし、同じ夢を見ていたことをしりました。

そしてほどなくして、中将姫が産まれたのです。(現在の京終あたりで産まれたと言われています。)

 

中将姫が産まれるのと時を同じくして、天皇の夢枕に老僧が現れ

『彼の横佩家(よこはぎけ:中将姫の家)に産まれてくる女子は、後の世の為のなる子である。その子に官名を許されよ。」

とお告げがありました。

そこで天皇は使いを出し、産まれたばかりの姫に“中将内侍”と官名を勅許されました。
このことから姫は中将姫と呼ばれる事になります。

そしてここから数年間、スーパー中将姫無双がつづきます

 

中将姫が2歳の時、とつぜん乳母のひざからおり、西に向かって合掌され、

「初瀬寺救世のちかいを顕して女人成仏今ぞ知らせん」

とはじめて言葉を発し、周囲をおどろかせます。

(このあたりちょっと聖徳太子伝説とかぶってますね。偉人は2歳になると突然合掌してマセたことを口走るものなのでしょうか。)

 

3歳。
中将姫のまえに勢至菩薩(せいしぼさつ)が現れるようになり、
二人で親しく話をしている姿が目撃されるようになります。

そして勢至菩薩とおしゃべりしているときの中将姫は
観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の姿になっていたんだとか。ちかよりづら…!

 

4歳の春。
白狐が称讃浄土教(しょうさんじょうどきょう)という経典をくわえて
中将姫の側に置いていきました。

以来、中将姫は昼も夜もよろこんでそれを読んでいたんだとか。

 

そんなこんなで幼いころから賢く、好奇心も旺盛で、
仏教にも興味を示していた(というか半ば菩薩だった)中将姫。

加えてまばゆいばかりの美しさだったとか。(母である紫の前は超絶美人で有名)

まさに才色兼備。しかも金持ち。

天が思いっきり二物を与えてるパターンですね。うらやましい!

 

母、紫の前の死

中将姫、完璧に人生勝ち組コース!と思われたさなか、突然苦難が訪れます。

5歳のころ、母、紫の前が他界してしまうのです。

 

「おや?」と思ったそこのあなた。

しっかり読んでくださってますね。ありがとうございます。

 

そうです。
中将姫が産まれるまえ、長谷観音の予言では『3歳で両親のどちらかが死ぬ』はずでした。

でもなんやかんやどちらも死ななかった。

これはきっと観音さまの慈悲だったのでしょう。

 

しかし、中将姫が5歳の桃の節句の日、ついうっかり母が
「仏のお告げも一途には信用できないものね。」と冗談めかして発言したことで
パタリと死んでしまうのです。なんてこった…。

このくだりは神仏習合しちゃってる奈良らしいおはなしですね。
仏も怒らせるとこわい。

 

最悪の継母、照代の前(てるよのまえ)あらわる

中将姫7歳のとき、父が新しい妻、照代の前(てるよのまえ)をめとるのですが、
この継母がおそろしく底意地の悪い女なのです。

ここから中将姫にとって苦しみの日々が始まります…。

中将姫8歳の3月3日、女帝、孝謙天皇が盛大に桃の節会をひらかれました。

幼いけれども和歌も管弦も上手だった中将姫は、
両親とともにこの宴に招かれ、その場で琴を見事にかなでられました。

天皇はそれにとても感動し、
「今宵の宴で演奏した者の中で、中将姫が最も秀でていた」
とおほめになったとのことです。

 

いっぽう、継母は筝(そう)のお役を命ぜられたものの、
筝にふれたことすらなかったもので、侍女がお役目をかわり、なんとかその場をとりなしたとか。

このような晴れがましい席で失態をさらしてしまったことを恥じた継母は、
わが身の才能がないことを忘れ、あろうことか中将姫を逆恨みしました。

中将姫、とんだとばっちりです。

 

その秋、継母がはじめての男の子、豊寿丸(とよじゅまる)を出産します。

継母は豊寿丸を溺愛する反動で、
中将姫に酷いいやがらせをするようになっていきます。

 

毎度あらぬ疑いをかけ、真冬に裸で外に出し雪をかけたり
松の木に縛りつけ割竹打ちの折檻(せっかん)をしたり
ある時は崖から突き落としたこともありました。

もはや鬼の所業…。

 

それでも中将姫は口答え一つせず、ひたすら耐えていたというから泣けます。

 

中将姫暗殺計画1:継母に翻弄された父子の悲しいおはなし

中将姫も9歳になりました。

日々の苦しみから、懐かしい我が母をおもい
称讃浄土経をひたすら説く日々をおくっておりました。

 

そんななか、継母はさらにおそろしい計画を思いつきます。

 

継母は屋敷の中の人気(ひとけ)のないところに
山下藤内載則という側近をよびつけ、あることを命じました。

 

『豊寿丸が家督をついだら、おまえの子を第一の執権(しっけん:第一の補佐役)とならせてやる。そのかわり、今夜中将姫の寝床に忍びこみ、殺せ。

もはや継母の中将姫への嫌がらせは暗殺へとエスカレートしていたのです。

 

藤内載則は欲にすっかり欲に目がくらみ、それを承諾して家にかえりました。

そして息子に「お前の将来もこれで安泰や!」とこの話を伝えたのです。

 

彼の息子、則重(のりしげ)は18歳という若さでありながら、賢く正義感にあふれる若者でした。

彼は父が語る計画をきき、「なんということを…!」と、すぐに父をいましめました。

その態度に父はすっかり腹を立て、聞く耳を持たず自室にひっこんでしまいます。

『父はすっかり欲にのまれた説得することはもう無理だ。』と則重は悟り、

『こうなった上はわが命を捨てて姫をお守りする他はない。』

と決心したのです。

則重なんというイケメン…。

 

そして則重は自室に下がり、両親への別れの書き置きをのこし、
その夜の姫の御殿の警護を志願し、家を出たのです。

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日も暮れたころ、則重は父に顔を悟られぬよう薄墨で顔を塗り、きたる父との一騎打ちを待ちました。

このときの則重の気持ちをおもうと胸がしめつけられます…。つらい…。

 

夜更けになり、父が塀を乗り越えてくる気配を感じ、則重は刀をつかみ、庭に出ました。

『できるだけ何事もなく、父をあきらめさせたい。』

そんな祈りを込め、則重は暗闇のなか大きな音をたてて刀を抜き、大声で脅しつけました。

それが息子とは気が付かぬ父は、大事の前の小事とすぐさま刀を抜いて則重にきりかかりました。

(わああ父ちゃんのばかばかー!)

 

対する則重は、実の父とわかっているがゆえ、ついつい手加減してしまいばっさりと切られてしまいます。

(うわあああああ!)

 

さて本題、と屋敷に忍びこもうとした父でしたが、
則重がたてた大きな音をききつけた警備の者が近づいてくる気配を感じ、
これはいかん!とその夜は逃げ帰りました。

 

自分の屋敷に返ってしばらくすると、
早馬がやってきて「則重が御殿で何者かに切られた」というではありませんか。
父はここでやっと悟ります。

 

「さっき御殿でわしが斬ったん、もしかして則重だったんか…?(滝汗)」

 

あわてふためいて息子の部屋にいくと、書き置きがありました。

 

『報いある世の理をわきまえぬ 親の心ぞ 愚かなれば』

(因果応報のこの世の道理をわきまえない私の親の心は、なんておろかなのでしょう)

 

そのたった一言の書き置きをみて、父は自分のおろかさと罪を後悔し、泣き崩れました。

その後、父は仏門に入り、命のあるかぎり息子の菩提をとむらったということです。

 

則重~(涙)

 

【中将姫伝説】29歳で生きながら仏になった姫:後編【當麻寺】につづく

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ABOUTこの記事をかいた人

Fumie Katayama

奈良の戦える女将。 母の影響で幼い頃から民俗学が好きだったものの、マッドサイエンティストに憧れて学生時代はバリバリの理系。[東京農工大学 工学部 有機材料化学科卒][同大学 技術経営研究科 技術リスクマネジメント専攻卒(研究分野:光学ポリマーアロイの複屈折制御)]武道も好きで、テコンドー(ITF)をしていたことも。[学生テコンドー全国選手権大会 トゥルの部二連覇(2008)(2009)、スペシャルテクニックの部優勝(2009)]就職を利用して一度住んでみたかった奈良県へ移住。古都奈良で1400年間言い伝えられてきた伝説、伝承、信仰、民俗芸能など生きた文化を目の当たりにし、眠っていた民俗学好き魂が再燃。『こんなにあやしくておもしろくてディープな奈良をもっと知ってほしい』という想いから、現在は"奈良のあやしくてかわいい宿"を開業するべく準備中。